カオスエンジニアリングの誕生物語。始まりはNetflix
娘が誕生してから、日常生活でハラハラすることが多くあります。
つかまり立ちを覚えた頃はバランスを崩して頭から倒れ、歩き始めてからはあちこちで物にぶつかり、突然水に潜る、危ない場所に向かってダッシュしようとするなど奇行(?)に走ったり…。

親としては「危ないからやめて!」と言いたくなるこんな光景、実は「小さな失敗を繰り返すことで、大きな失敗を防ぐ」という、極めて合理的な学習プロセスです。子供は、転んだりぶつかったりする経験を通じて、どうすれば安全に動けるかを身体で覚えるそうです。
そして、この「あえて小さな失敗を経験させて、大きな問題に備える」という考え方、実は我々システム運用の世界でも、サービスの信頼性を高めるために非常に重要なアプローチとして取り入れられています。
本日は、そんな「わざとシステムを壊す」ことで障害に強いサービスを構築する「カオスエンジニアリング」が生まれた背景を調べてみました!
カオスエンジニアリングとは?何故わざと壊すのか
カオスエンジニアリングとは、稼働中のシステムにあえて障害を注入し、その挙動を観察することで、システムの弱点を発見・修正していく手法です。
これは、まさに子供が小さな失敗から学ぶプロセスを、システムに応用したような考え方です。突発的な大規模障害という「大きな怪我」をしてしまう前に、管理された環境下でシステムに小さな「つまずき」や「転倒」を経験させておく。
それによって、システムが予期せぬ事態に直面したときでも、しなやかに対応できる「体幹」を鍛え上げ、本当に守るべきサービスの継続性を確保するのです。

平穏な運用時にこそ、システムの潜在的な弱点や予期せぬ障害パターンを発見し、事前に対策を講じること。それが、カオスエンジニアリングの真の目的です。
カオスエンジニアリングの始まりはNetflix
このカオスエンジニアリングという概念は、Netflixが自社の技術ブログでその考え方と実践方法を公開したことから広く知られるようになりました。
Netflixは2010年頃、大規模なシステムをオンプレミスからAWSへと移行する過程で、クラウド環境では個々のコンポーネントは「いつか壊れる」のではなく「常に壊れうる」という厳しい現実に直面します。

そこで彼らが開発したのが、かの有名な、カオスエンジニアリングのツール「Chaos Monkey(カオスモンキー)」です。
Chaos Monkeyの誕生
Netflixが2011年に公開したブログ記事「The Netflix Simian Army」によると、Chaos Monkeyは本番環境で稼働しているサーバー(インスタンス)を意図的かつランダムに停止させるツールとして発表されました。
本番環境を、わざと。しかも、ランダムに停止させる…?!

当時のエンジニア達は、「正気か…?」と自分の耳を疑ったことでしょう。安定稼働こそが絶対的な正義である本番環境のサーバーを、自らの手で落としにいくなど、筆者には逆立ちしたって思い付きません…
しかし、この一見クレイジーに思える試みこそ、Netflixの狙いでした。
単一のサーバーがダウンしてもサービス全体が影響を受けない、回復力のあるシステム設計をエンジニアに「強制的に」意識させることが目的でした。
まさに…逆転の発想…っ!!!天才的です。(ざわ…ざわ…)
体系的な方法論への進化
さらにNetflixは、この考え方をより体系的な方法論へと進化させ、2015年のブログ記事「Chaos Engineering Upgraded」で、正式に「Chaos Engineering」という言葉を提唱しました。
ここでは、「単にコンポーネントを壊すだけでなく、システム全体の振る舞いを実験によって明らかにし、未知の弱点を発見するための科学的なアプローチ」として定義されています。
つまり、「わざと壊す」という衝撃的な手法は、Netflixがクラウドという予測不能な環境で巨大なサービスを安定稼働させるために編み出した、極めて実践的な知恵だったのです。
「わざと壊す」ことのメリット
「わざとシステムを壊す」と聞くと、一見するとリスクの高い行為に思えるかもしれません。しかし、これには多くの大きなメリットがあります。
| メリット | 詳細 |
|---|---|
| 未知の障害の早期発見 | 実際の障害が発生する前に、システムの隠れた脆弱性や予期せぬ依存関係を発見できます。これにより、本番環境での深刻な障害を未然に防ぐことが可能になります。 |
| SREチームの対応力向上 | 障害シミュレーションを通じて、SRE(Site Reliability Engineering)チームが実際の障害発生時にどれだけ迅速かつ的確に対応できるかを訓練できます。 これにより、チームのスキルアップと、インシデント対応プロセスの改善につながります。 |
| システム設計の改善 | カオスエンジニアリングの結果から得られた知見は、より堅牢で回復力の高いシステム設計にフィードバックされます。 例えば、単一障害点の排除、自動復旧メカニズムの強化、耐障害性のあるアーキテクチャの導入などが促進されます。 |
| 運用の信頼性向上とコスト削減 | 継続的なカオスエンジニアリングによって、システムの信頼性が向上し、予期せぬダウンタイムが減少します。結果として、運用コストの削減や、顧客満足度の向上に貢献します。 AWS、Google Cloud、Azureなどのクラウドサービスを利用している場合、これらのサービスが提供する耐障害性機能を最大限に活用するための検証にも役立ちます。 |
| サービス全体のリスク軽減 | 障害発生時の影響範囲や、特定のコンポーネントが停止した場合の cascading failure(連鎖的な障害)のリスクを評価し、サービス全体としてのレジリエンスを高めることができます。 これは、現代の複雑なマイクロサービスアーキテクチャや分散システムにおいて特に重要です。 |
現代のシステム運用におけるカオスエンジニアリング
現在では、カオスエンジニアリングはNetflixだけでなく、多くの企業でSREやシステム運用の重要なプラクティスとして導入されています。
AWS Fault Injection Simulator (FIS) やGoogle CloudのChaos Engineeringツール、Azure Chaos Studioなど、クラウドベンダーもサービスとして提供しており、より手軽にカオスエンジニアリングを実践できる環境が整ってきています。
これらのツールを活用することで、コンピューティング、ネットワーキング、データベースといった様々なレイヤーでの障害をシミュレートし、システムの耐障害性を多角的に検証することが可能になります。
まとめ
カオスエンジニアリングは、「わざとシステムを壊す」という一見過激な手法ですが、その本質は「システムは必ず壊れる」という現実を受け入れ、いかにしてその影響を最小限に抑え、迅速に復旧するかを追求する、極めて建設的なアプローチです。
日々の運用業務に追われる中で、なかなか「攻め」の運用に時間を割くのは難しいかもしれませんが、未来の大きな障害を防ぐためにも、カオスエンジニアリングのような「攻め」の視点を取り入れていくことは、これからのシステム運用においてますます重要になるのかもしれません。